だらけ日記過去ログ:2006年6月22日(木)「高レベル言語」
昨日そんなことを書いていたら、変な仮説を思いついたのでメモ。 高レベルな人と低レベルな人の会話を考えてみる。低「昨日のアニメおもしろかったよね?」高「昨日は○○脚本だったからな」高「あの人の脚本回は一見の価値ありだよ」低「歌のところは迫力合って見入っちゃった」高「ああいう動画は□□の十八番だからなぁ」高「□□は他に△△とかでもこういう動画を描いてた」低「へぇ〜」 高レベルな人と高レベルな人の会話も考えてみる。高1「昨日のアニメ見ました?」高2「見たよ、さすがは○○ですよね」高1「ですよね、○○は●●の頃からこれは!と思ってましたよ」高2「俺は■■からですねー。●●からなんてお目が高いですね」高1「歌唱部分の作画は××さんですよね、いい仕事でしたよ」高2「あの動きは××さんでしか出せないですよね」高1「次の担当回も楽しみです」 高レベル会話だと、知識公開と情報確認がメインになっていて、自分のことをほとんど語っていないことに気づく。それでも会話が成立しているという不思議な違和感。 自分のことを深いところまで語りたくないという気持ちと、相手との衝突を避けているのかなー、と思う。ある意味思いやり。キャストやスタッフ、劇中のセリフなどを織り交ぜたテンプレ会話で、会話した気になりたい。 というのもあるだろうし、高レベルすぎて、自分の感情を見失っている…というか、劇中の情報>>>自分の感情 になってしまっていることもあるのかな。 確かに知識を並べるだけの会話は楽だ。考えなくていい。セリフやスタッフなどのキーワードを並べるだけで、同等のレベルなら「私もそう思いました」と伝えつつ、そのキーワードでそう思う理由まで語っていることになる、婉曲にね。 でもそれは、自分をテンプレ化…デジタル化しているようなものではないかと思ってみたり。それぞれ微妙に違うことを考えているハズなのに、同じモノを見て、出てくる言葉はみんな同じな集団。 同じこと、同じキーワードを言っていれば輪から外れることはない。そこに入るにはそのキーワードに則した合い言葉が必要である。そういうところで閉鎖的に見えているのかも。 閉鎖空間に長いこといた人たちは輪の境界が曖昧になって拡がっていくことや、輪の外で新たな輪ができそうなことがおもしろくないのかも。 アニメはさ、高レベルアニオタだけが見てるものじゃないのですよ。消費者にしてもね。 以上メモ。まとめる気はないですが。 至好回路さんの「▼2006/05/26 (金)」や「▼2006/06/02 (金)」の日記、さらにそこからのリンク先などもちょっと関連した話になるのかしら。特に意識したつもりはなかったんですけど、後ろのほうはそんな感じの話に。 オタについて語る気はそんなにないけど、要は供給過多&過去データ膨大すぎなんだよね。アニメを見まくるだけでも無謀に近いんだから。(多量見の結論はいつもそれだ)