だらけ日記過去ログ:2006年3月20日(月)「多量見とは」
字面の通り「アニメをいっぱい見てる人」だと思うので、そこまで見といて多量見じゃないと言うのはどうなのかと。>こころあたり では「アニメをいっぱい見る」というのはどういうことなのか。そこから話そうかね。 何度も何度も何度も言っている通り、最近はアニメが多い、はっきり言えば供給過多だと思われる状態ぐらいに。その世界で「アニメを見る」というのはもはや「アニメなら何でも見る」ということではなく、「自分の好みに合いそうなモノだけ見る」「みんなが見てそうなモノだけ見る」というものになり、アニメ好きと言っている人たちも大抵はそんなもんかと。 つまり、いわゆるアニメファンはアニメをいっぱい見ないんですよ。 それに対して、多量見―アニメをいっぱい見る人― とはどういう人種なのかというと、1.「アニメを見ること」自体が好きな人2.与えられたアニメをどうにかして楽しもうとする人3.見切れない人4.自分の目で見ないと信用できない人5.他の人が自分の見てないアニメで楽しんでいるのが我慢ならない人6.アニメだと聞くとつい見てしまう人7.どんなアニメでも大抵楽しめてしまう人8.アニメの優先順位が人生の中でかなり上の方にある人 こんな感じであると推測できるワケです。見られる環境にある=見るしかない という思考パターンは既に多量見のソレそのものですな。 多量見のパターンがこれだとすると、逆にふつうのアニメファンと呼ばれる人たちは、1.「アニメ」が好きな人2.自分の好みに合うアニメだけ見る人3.合わないアニメは見切れる人4.他人の評価でアニメを判断できる人5.他の人が自分の見てないアニメで楽しんでいても平気な人6.アニメが選択肢のひとつでしかない人7.どんなアニメでも楽しめるわけではない人8.アニメの優先順位は人生の中でそこそこの位置にしかない人 こうなる。 そしてポイントは4項目目、「4.自分の目で見ないと信用できない人」にある。これは逆に言えば、「自分が楽しめれば万事OK、他人の評価なんて気にしない」であり、楽しめさえすれば、自分独自の見方をするし、他者の考察などはさほど気にならないということになる。 つまり、ディープ連中から見れば、「見ているだけの薄いヤツ」に見えるのだ。 それに、おもしろいものは特に考えなくてもおもしろいし、多量見が考えるべきなのはさほどおもしろくなさそうなものをどうおもしろがるかであり、ディープファンが生まれやすい普通におもしろいものについては、特に薄くなりやすいという傾向があったりすると思われる。 野球で例えれば、普通はど真ん中ストライクしか手を出さないのに対し、多量見はきわどい球どころか大暴投まで打ちに行く、そしてその大暴投を打てたときの感動を知っている、そういう人だと思う。自分を信じて、きっと打てるはず。でも見送ってファーボールになった方がたぶん勝ち組になれることも知っている。 ボールの球種も、コースも何も見ないで、ボールが来たことだけ認識して振りに行く多量見に対して、飛んできたボールをしっかり見て自分が手を出すべきなのか考えられるのが普通のアニメファンなんだよね。まぁ悪球打ち専門の人もいるけど! どっちがいいかとかいう話ではなく、自分の考える多量見とはそういう人という話。一般局に加え、CSのアニメチャンネルも、BSデジタルも、テレビ神奈川も見られる身になってしまうと、普通の人には見えない球も見えてしまうので、多量見がエスカレートするのです…。見えなければ…、打ちにいかなくていいのに。