だらけ日記過去ログ:2010年4月2日(金)「ずいぶんあたりまえのことをいっしょうけんめいしゃべるんだね、きみは」
くりまんじゅうの最後のひとつに覚える感情と、アニメの最終回に抱く感情は似ている。のび太はかつて言った、「このくりまんじゅう、食べるとうまいけどなくなるだろ。食べないとなくならないけど、うまくないだろ。」と。またこうも言った「なぜだ!!なぜおかしはたべるとなくなるのだ!!」と。 つまりこういうことだ(ジョリリ風)、最終回を見たら大好きな作品が終わってしまう。 見ないでいれば、少なくとも自分の中ではその作品の終わりは来ない。でも、くりまんじゅうと同じく、いつまでも置いといたら、おいしく食べられる時期を逃してしまう。このくりまんじゅうを一番おいしくいただけるのは今でしかないけど、当然ながら食べたらなくなる。…なぜだ、と。 くりまんじゅうをおいしくいただける量というのも当然わかっていて、ここでくりまんじゅうがなくなることで、くりまんじゅうをとてもおいしい状態で食べ終えることができると理解してもいる。それでも、くりまんじゅうを食べてきた幸せを思い返すと、最後のひとつとなったくりまんじゅうに手を伸ばして、くりまんじゅうをなくしてしまうのがどれだけためらわれることか。 至極の一品である最後のくりまんじゅうを食べて、何者にも代え難い充足感を得ると同時に、とてつもない喪失感を覚える。くりまんじゅうは、もうない…、もう、ないんだ…。 大切に見てきたアニメの最終回ってそんな感じ。 本当ならばこのあと、じっくりと余韻に浸りたいところだけども、最終回シーズンは当然最終回ラッシュなわけで、最後のくりまんじゅうのあとは、最後の薄皮まんじゅうもあり、最後のえびせんべいもある。余韻に浸る間もなく、同じように大切な最後のそれらを食べねばならない。それらだって、おいしい時期は今この時だけなのだから。 これまでの集大成である、最後のひとつは、すばらしい味で、後味もたっぷりある。当然ながら、たて続けて食べれば味がいくらか混ざる。この時ばかりは、スケジュールに余裕がまったくない多量見生活を少しうらめしく思う。もっと大事に味わいたいのにね。 そんな“最後のくりまんじゅう”を連続して味わわなければならない最終回シーズンは、何度経験してもどうしても精神が不安定になる。泣いて笑ってうなだれて…そんな忙しい30分の最終回を連続視聴するとなるともう大変なことに。 こんなにつらい思いをするのなら、最初から見なければいいのに! …という言葉がよぎると、きまって、よくある地方巡業をしている劇団に所属している転校生の話(仕事柄転校の繰り返しなので友達を作ろうとしないけど、最終的には主人公と友達になる)を思い出す…。そして「別れが怖くてアニメが見られるか!」と言い聞かせて、また今期も新番組を見る。その繰り返し。 “最後のくりまんじゅう”に対するためらいは、ただ終わってしまうことへの恐怖というだけでなく、次にこの皿に乗ることになる“まだ見ぬ新作おやつ”への不安も含んでいると思う。おいしさがわかっている目の前のくりまんじゅうと比べて、次のおやつは果たしてそこまでおいしいのか、くりまんじゅうをゆっくり食べる方がよほどマシなのではないだろうか…、くりまんじゅうがなくなってできた喪失感を埋められるのか…という未来への不安。とてつもなくおいしいかも知れないし、どうしようもなくまずいかも知れない、味わい方がわからない珍味もあるかも。 終わっていったアニメたち、今までありがとう。始まってくるアニメたち、これからよろしく。続いているアニメたち、これからもよろしく。 …素直にそう言えればいいけどね。まぁ、何か新年度らしい挨拶になったので終わろう。