ちょっと前の話になるけど、『こんにちはアン』にて「時は春 春は朝 朝は7時 丘は露に輝き ひばりは空にあり かたつむりサンザシにありて 神は天にあり 世はすべてこともなし」というブラウニングの詩が印象深く使われていて、「かたつむりサンザシにありて」まで淡々と自然の美しさを述べたあとで、「神は天にあり 世はすべてこともなし」とまとめるという、いきなり宗教絡みっぽくなる様に面食らいました。
日本の宗教はだいたい多神教で、唯一神という考え方があまり身近ではないこともあって、「神様」と言われると、白髭のおじいさん(スーパーゼウス様的な)とか、後頭部が肥大化した緑色の人とか(ぉ 、人格のある「人」の姿を思い浮かべてしまっていました。
でも、このブラウニングの詩からすると、そういった自然の延長上に「神」という存在があるという考え方っぽいので、「神」に「人格」を見るのはあまり正しい見方ではなかったのかなぁと、いくらか反省しました。
そういうことを考えて、思い出したのが「“もったいない”という言葉は日本にしかない」という話を聞いたとき、本当にそうなのかと和英辞書で調べてみて、
もったいない 勿体ない
1 〈無駄な〉 wasteful; 〈過分な〉 《be》 too good 《for》
2 〈(神などを)敬わない〉 profane; irreverent; 《fml》 impious; 〈尊い〉 gracious
※太字は引用者
なんてのが出てきたときの記憶。(※あまり和英辞典の一般的な訳ではないよう)
そのときは「これで『神』なんて大それたものが出してきちゃうのか!」とか思ったのですが、自然の延長、日本語的に言うと「天命」の意味合いで考えると、そんな大それた書き方ではない印象に変わりました。
「役割」「環境」「境遇」「運命」「偶然」「自然」…そういったものが全部「神」にあたるイメージ。人為的なものから外れているものという考えでもいいかな。
だから、持てる能力を使いきっていなかったり、うまく使えていなかったりする「もったいない」を訳して神にまで話が飛んじゃうのは、そんなに遠い訳ではなかったのか、と。緑色の人はそんな細かい話気にしないんじゃないの…とかいう1個人の「神」がいるとする考えに基づくツッコミは考え方としてズレているものなのか、と。
まぁつまり、「神は天にあり」とか言ったとて、「自然は美しい」的な話だったってことでいいというか、「神」はそういったものへの感謝や美しさ、安心感を表すと考えられるので、「あぁなんて自然は美しいんだ」的な訳をしてもそんなに遠くない意味なのかもなぁ…と、こんにちはアンを見て思った次第、という話。
そういう考え方を取り入れて欧米が舞台のアニメを見ると、また少し違って見えるのかも。
『こんにちはアン』を見終えたら『赤毛のアン』もきっちり見直すべきなのかなぁ。実のところあまり覚えてないというか…見てないのかも。平行見ができる気はしないので、今MXでやってる再放送は見られないのだけれど…。
※つっこまれる前につっこんでおくと、辞書の2つめの「もったいない」の意味は「おそれおおい」(「もったいないお言葉」とかの)的なことなので、根本から違っている論なのですよ。(なんかそれっぽい記憶を元に調べずにあらかた書いた後でちゃんと辞書を引いたら記憶とだいぶ違ってたけどせっかく書いたのでそのまま上げちゃいました)
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