だらけ日記過去ログ:2005年5月22日(日)「デスクトップを晒してみる」
手キャプした絵をデスクトップ壁紙にするのがちょっとマイブーム。普通のキャプ絵じゃ、解像度も低いし、背景もあるんでやりにくいけど、手キャプの解像度は自分がどのサイズで手キャプしたかによるので、壁紙化してもそれなりに見られる。うちの画面解像度は基本800x600やし。 んー、とりあえず描いた人の特権ですな。壁紙サイズを上げる気はないし。てか手キャプの思い入れがないと別におもしろくない壁紙ではないかと。 楓さんはうちのアイコン配置とよくマッチングしていい感じ。この絵用に配置を変更しているわけではないのですよ、前からこんな感じ。上と左右、左は2列。 手キャプはいろいろ使い回しがきいておもろいですな。つかアニメ制作元はせっかく描いた絵を、アニメーションに使うだけで終わらせていて勿体ないと思ったりもする。まぁ全部が全部アニメにして終わりってわけでもないでしょうが。提供裏とか、プリキュアのまたみてね画像とか。まぁそれもアニメになったところからの1カットなので「せっかく描いた絵」という意味では使い回しているわけではない感じですが。 デジタル彩色したあとでも、自分の手キャプ以上の解像度があるはずなので、いろいろと使い道があるはずだと思うのだけどなー。 原画を出すのもいいし。 動画パターンを出してみるとか。 そういうアニメーション的なところのネタもあるし、高解像度や、セル部と背景が分かれているところを利用すれば、アイコンや壁紙も簡単に作れるし、そういうの使ったアプリケーションなんかもそんなに苦労しないで作れると思うのだけど、上記の通りそういうのってあんまり見ないよね。アニメにするだけ。 紙媒体とかDVDとかコストが大幅にかかる方法にしなくても、配布可能になっている時代なのだから、2次利用、3次利用とかでも採算を取れる方法があるんじゃないかと素人考えで思ってみたり。 アニメ好きと呼ばれる人たちは昔ほどアニメーション ―動画― 好きではなくなっていると思うし、静止画素材でもいろいろと使い道はあると思いますです。 労働条件が粗悪のままやりつづけていたり、海外とかでどう扱われたり使われたりしてもさほど有効な手を打てなかったりと、制作サイドはアニメを作ることだけにかまけすぎなのではないかと思うこともしばしばありますわ。 一般人がよく持っている「アニメなんか」という感覚は、アニメ好きでも「アニメなんか見ているオレ」という感覚で持っていることは多いし、もしかしたら作っている方も「アニメなんか作っているオレ」とか思っているのかも知れないなァ。アニメになる価値しか持ち合わせていないものとしか思っていないのかしら。 アニメを作っている人のひとりひとりの扱いがさほどよくない話はよく聞きますし、それが構造的な原因も大きいとは知っていますけども、その状況に甘んじて、アニメを作ることしかしてないのもまたそのひとりひとりなんだよなー。 話戻って、1枚の絵に関して言えば、誰が原画描いて、誰が動画描いて、誰が修正入れて、誰が色つけて…なんてことは視聴者レベルでは「スタッフロールの中の誰か」までしかわからないし、場合によっては会社名までしか出ない。名前が出ていても、その人は別に著作権を持ちうるわけでもない。 視聴者、購入者レベルではそこを大きなポイントとして捉えているにもかかわらず、だ。 データ放送が進化しても、「このカットを描いたのは誰と誰」とか「ここを撮影したのは誰」とか、「この人は他にどこを描いているの?」とかいう情報まで載ることはないんだろうな…。 結局は「アニメなんか」という意識がすべてを支配しているのかも知れないナ。「アニメなんか見てんのかよ」「アニメなんか見てないで…」「アニメなんかで感動してるのか…」「アニメなんか見てても何にもならないよ」「アニメなんかに金かけるなよ」「アニメなんかなくても困らないだろ」「アニメなんか子どもが見てればいいんだ」「アニメなんか作れても偉くない」「アニメなんか見てるやつはキモい」「アニメなんか作ってるやつは社会に適合できなかったはみ出しものだ」とか、そういう意識。 まぁ別に自分はアニメを向上させたいとかは全く思ってないけど。「アニメなんか」にどっぷりしているというところも含めてアニメ好き。見下されていることも魅力のひとつだよ。 ただ、給与や1作品での儲け率が上がって、放送数が減り、さらにDVD単価下がることは望んでいます…。アニメーション制作には多額の金がかかり、多数のチャネルでそれを回収していく構造になれば、作品数は減り、その少ない作品やキャラクターでいろいろな展開をしていくことになり、しいてはDVDがそのいろいろな展開のひとつになり、DVDのみで回収する構造から脱却することにより、DVD単価が下がる、と。 何か大きな事件がないと変わらないんだろうなー。つまりは現構造の発端のひとつであるエヴァが悪い、と。放映から10年経った今でも新しい商品やビジネスを展開し続けているエヴァンゲリオンはある意味上で考えているようなビジネスモデルだけども。